世の一切の財宝よりも自己完成の価値は遥かに尊し
この世の中には、富とか財宝とかいう、いろいろなものがたくさんあるが、もし自分が不自然な状態におかれたなら、どれほどの富や地位でも全くの無価値になる。
ところが自己が立派に完成されると、あらゆる財宝が、はじめてその真価を発揮するようになる。
ゆえに人は、内面的な自己の完成ということを忘れて、外面的な、財宝や地位のみを追求するということは、本末の転倒である。
いくら多くの富を集め、最高の地位を築いてみても、ひとつ自己の歩み方を誤ったなら、一瞬にしてすべてを失ってしまう。
その一例は、アメリカの大統領であったケネディであり、プロレスの力道山もそうであった。
また池田前首相のような、国家にとって必要な指導者も、ひとつ道を誤って自己を忘れ、軌道をかたよると消滅してしまわねばならない。
ゆえに地位や財産よりも、自己を正しい神の軌道において、与えられた運命を末端まで完全に生き抜くとき、はじめて、いっさいのものが真の価値を発揮するようになる。
しかしほとんどの人が、自己の完成ということを忘れて、外観や、富や、地位に浮き身をやつして倒れてゆくことは、現代人の大きな錯覚である。
人は、正しい神の軌道にのって、そして自己完成に努力してゆくときには、求めずして、それ相応の必要な財産や地位が、自然に与えられるものである。
それは人間にしても、樹木にしても、そのものに応じて影ができるように、一尺伸びれば一尺の富、一丈伸びれば一丈の富が、もとめずして自然に備わってくる。これは何物にも奪われない真の財宝である。
ところが、自己の完成、成長をおろそかにして積み上げた財宝は、かえってそれがために身を破滅する恐れがある。
ゆえに人は、外面的、物質的な富や地位よりも、まず内面的、精神的な自己完成に重点を置くことが肝要である。
それには、自己を、正しい神の軌道から踏み誤らないようにして生き抜くことが大切である。
精神が正しく向いてくると、その後には必ず物質がついてくる。