人は万(まん)貫(がん)の富を顧(かえり)みずして一片の泡沫(ほうまつ)を求めんとして溺(おぼ)る

 

 人生は出発点が大事である。その出発するときに、人生一生の遠大な目標を立て、それに向かって弛(たゆ)まず努力してゆけば、普通の者なら必ず目的が達成できる。もしその目標が無い場合には、何かのはずみに、目前の快楽や感情のため軌道を脱線し、一生を棒にふることが非常に多い。

 そして蚕(かいこ)にもあるように、初眠、二眠、三眠、四眠、というふうな人間にも節(=かわりめ)がある。

 それで十二歳から十六歳ぐらいまでの少年の間に、自分に適した目的を定めて、それを目標に進んで行くときには、少々の誘惑や瞬間の快楽が突如として襲うとも、一方に大きな目標、気宇(きう)を抱いているから、忍耐力が十分に働いてその難関を楽に突破して行ける。

 これに対し、遠大な理想目標をもたない者は、刹那的感情に捉われ、あるいはまた、誘惑に負けて失敗し易い。振り出しが悪いと、それを挽回することはなかなか容易でない。

 いま仮りに、商人が目前のわずかな利益のために、一時的な駆け引きで客を満足させるようなことをしても、それは必ず禍となって現われてくる。やはり商売も、大局に目を向け目標をおいて、その総合計算判断のうえやってゆくときには、そのような錯覚に陥らず、そして大成ができる。

 何事をするにも最高目標をおいて、それに向って総合利害判断のもとに進むときは、小事に捉われて失敗することが少ない。

 しかし多くの人は、その重大な、根本の目的に対する基礎を築くことを忘れ、さらに目前の感情に走り、すべてを台なしにすることが多い。特に若い時に極端な失敗を起こすと、それが禍して再び信用を回復し得ないで苦しむものである。

 よく見かけることだが、お花見などで、些細な感情のもつれから、甚だしいときには傷害事件まで起こすことがある。

 ゆえに人は、常に大局の目標をハッキリと心の中に持って、そして刹那的快楽や、一時的感情に捉われないようにすることが、人生世渡りにはたいへん大事なことである。

 それがためせっかく大成できる者が失敗し信用を失うと、自暴自棄になって、一代を棒にふらなければならない結果に陥る。

 であるから、特に若い人はその点を慎み、また周囲の者も常に注意して、若い人が、そういう誤った方向に陥らないように指導することが大切である。

最近の青少年が無軌道な行動に走るのは、みなそこに大きな原因がある。

 青少年たちが一生を通じての大理想目標をもたないから、刹那的感情で行動し、大成できないことは実に惜しいことである。