今日の運命は、過去の行動を総合した正確な答えである

 昔から“灯台下暗し”といって、遠くの人が知っていることを近くの人がかえって知らないとか、あまりに身近な事情は、往々にして見落としてゆく場合が非常に多い。

 たとえば子供を育てるのを見ても、案外、間違った育て方をして、せっかく立派になる子供が悪くなり、そのうえ意見の対立や摩擦を起こして、親子でありながら円満を欠く家庭がたくさんある。

 ところがそれには道があって、その道にはいり且つ熟練すると、たとえば猛獣でも、また魚や鳥でも、みな意のままに動いて、正確に人のいうことを守ってゆく。

 たしかあれは昭和六-七年ごろだったと思うが、ドイツからハーゲンベックとかいうサーカス団が、たくさんの動物を連れて日本へ来た。

 その時に、およそ100頭ぐらいの馬を、ムチ一つで、一列に並べてみたり四列に並べてみたり、そして休憩の時にはバラバラに入り乱れていた馬が、やはりムチ一つで番号順にきちんと整列してゆく。

 人間でもどうかすると、誰のつぎに、どこへはいっていいか判らないという者ができるというのに、言葉の通じない動物がムチ一つで自由になっている。

 またオットセイのようなものでも鼻の先にマリをのせ、そして梯子(はしご)を昇り降りしたり、マリをつぎつぎと投げては鼻の先で受けてみせる。

 あれは人間でもちょっとできない芸当である。あるいはまた、軽業師が針金の上を自転車で通ってみたり、そのうえに逆か立ちなどと、奇術のように人の目をゴマかすのでなく、なかなか超人的な曲芸を事実やってのけている。

 つまり訓練すればそのように上達するものであるから、誰でも日常、自分の真面目な職業のうえに訓練し注意してゆけば、いかなる仕事でも必ず成就できるはずである。

 菊作りの名人は、最初50円硬貨大の野菊から、長い間の丹精で、ついには一輪咲きの大きな菊を作り上げ、また畳一じょう敷きもある懸崖(けんがい)の菊や、同じ大きさの菊を何百も同時に咲かせたり、自由にしている。

 このように、動物でも植物でも、またなんにしても、その道にはいって訓練すれば、おのずからコツを会得し自由になるものである。

 子供を育てるのも同様、よく注意し訓練すれば、ほとんどの者が立派な人間に育ってゆく。

 ゆえに教育でも、仕事でも、自分の運命にしても、結論は日常の訓練が案外おろそかになってうまくいかない。そしてそこに気付かない人が非常に多い。

 世の中を見渡して立派に成功した人をみると、皆その道に長い間専心して訓練した結果、群を抜いて名を遂げている。しかし、そこに気付かないところに大きな見落としがある。

 よく結果がうまくいかないことを、運が悪いとか、偶然のように思って悲観する人がある。

 しかしそれは、早くから自己の仕事に専心、全力を打ち込んでいないのであって、その点を深く反省する必要がある。

 万物の霊長である人間が、自己の仕事に全力を集中すれば、必ず万人の水平線以上に出られることは、火を見るよりも明らかであるが、“灯台下暗し”で、特に自分のことには気付かない。

 ゆえに人は遠くより、まず足下の自己の日常のあり方をよく反省し見極めて、一歩一歩、合理的にふみ出し、そしてその積み重ねが運命をひらき、一生を大成する基礎原理であることを知らなければならない。