円満退社

松戸市在住信者

教祖様、日々、御守護賜りまして、誠にありがとうございます。

 昭和58年2月頃からお世話になっておりました会社を、6月30日をもちまして退職致しました。会社は運送業で、私の担当は経理事務で一週間に2日という契約でしたが、小規模のため、本業のほかに運転手や労務管理、その他雑用も含めて協力出来ることはすべて遂行してきました。

 平成9年1月、荷主先より会社買収の話が持ち上がり、先方の会社から社長、公認会計士、担当部長が当社にみえました。私は社長から相談を受け、同席して相手の要望をじっくりお聞きすることが出来ました。当社にとりましてこの上ない好条件でしたので、社長を促して、受諾決断をしました。

 その時、私は専従するように言われましたが、小規模ですが、他に何社からの依頼を受けておりましたので、お断りしました。

 私は会社買収前まで我孫子市に住んでいましたが、仕事面で不便を感じておりましたので、松戸市に転居したい旨を社長に相談しました。すると、隣同士で家を建てようという社長の提案があり、私も同意しました。

 土地は奥様の知り合いの地元農家から購入、家は社長と共通の知人の紹介で、秋田の大工さんにお願いして、昭和62年3月22日に現在の家が完成して、我孫子市から都内により近い松戸市に転居することが出来、妻もその当時、おむすび会の御奉仕で早朝出掛けておりましたので、教会が近くなったことを大変喜び感謝しておりました。

 売却後の会社はどんどん資金面が充実安定してきましたが、それに伴って社長が驚くほど人格が変わってしまいました。社長とその家族からの謂われなき誤解を受け、心身共に疲れてしまい、何度か辞職を伝えましたが受入れられず、我慢を強いられたまま時間が経過していきました。

 平成27年9月に、社長自ら退く旨を親会社の担当者に申し入れ、退任が決定しましたが、その時も本人からは退職を伝えていないと言われ、挙句の果てに私が退職に追いやったのではないかとまで言われ、困惑しました。私もその機会に退任する旨をお伝えしましたが、担当者から慰留され現在に至りました。

 その後、令和3年6月30をもって退職の運びとなりましたが、退職の二週間前に社長の家族との話し合いがもたれることとなり、すべては家族の誤解と分かり、一度に打ち解け、従来通りの関係に戻り、私も妻も安堵致しました。

 退職に際して親会社の社長より労いの電話を頂き、コロナ禍が終息したのち、送別会を開くから必ず出席する旨を伝えられました。

 また本社に所属する運転手、総務に関係する社員全員からの思いがけなく、一人では重くて持ちきれないほど立派で、大きな花束を頂くことが出来ました。妻も驚いていました。

 昭和55年8月24日、『対人関係』で御縁を賜りまして40年になりますが、以前の私であれば途中で投げ出すところでしたが、送別会のことや花束と、人生で初めての体験が出来ましたこと、すべて

教祖様の御守護、お導きの賜物と深く感謝申し上げます。誠にありがとうございました。