名医が用いれば一切が良薬となるも、下手が用いれば誤って毒薬と変わる。恐るべし

 最近はテレビ、ラジオ、新聞等でクスリの大衆宣伝をしている。

しかも、それらの媒体は、ほとんどその大半が、それによって埋め尽くされている。

 しかしその根本の、真のクスリという意味を、正しく理解している人は非常に少ない。その無知な者が、広告宣伝の文字だけによって、軽率に用いているということは、まことに恐るべき現象である。

 まだ東洋医学の方は、数千年の永い経験によって積み上げてきているから、西洋医学よりは確実性があるが、西洋医学は、短時日の間に急速に発達した物質科学文化の影響をうけて、人間を単に物質的に取り扱い、しかもそれが専門細分化しているところに恐るべき弊害を生じている。

 その総合的誤りの一点を挙げてみれば、西洋医学は、クスリの分量を統計によって平均値を出し、何歳から何歳までは“これこれ”と定めている。

 これに対し東洋医学は、昔からサジ加減といって、医者の長い経験によってその分量を決めている。そして明治中期ごろまでの人は、“三代続かぬ医者にはかかるな”と言うほど、医者の経験を重要視してきた。

 また医者も、三代も続く間には、患者の赤ん坊の時から老人になるまでの、一生を通じて手にかけてきている。だから患者の体質から抵抗力など、みな手にとるようにわかってきており、その人に応じた投薬ができる。

 医者は脈をとらなくても、患者がこうだと言えば、どこが悪くてどういうふうだということが、居ながらにしてわかるほどになり、診察するのも誤らず、落ち着いて、的確にできる。

 それを昔から“応病与薬、サジ加減”といって、当時は、今日のように医学が進んでいないように見えても、間違いはほとんどなかった。

 ところが最近は、物質科学の発達で、顕微鏡とか試験管とか、いろいろの器械ができ、未知の世界がわかってきて、その現われる現象により少数の者がよくなれば、もう全部の者が救われるように過信して、それを発表してゆく。

 そのやり方が、真に的確で合法的なものであったとしても、たとえばドイツやアメリカで新薬ができ世界に発表されると、猫も杓子も、名医も藪医も、皆それをそのまま鵜呑みにして用いるということは、まことに危険である。

 ましてや素人が、クスリの広告や効能書だけを見て用いることは、これほど危険千万なものはない。

 なぜかといえば、いま仮りに食事にしても、一合の飯もよく食べえない者があるかと思えば、一升飯も軽く平らげる者がある。また酒なら、奈良漬で真っ赤になる者もあれば、一升飲んでも平気な者がある。

 クスリにしても、各々その人の抵抗力、体質によって、受入方に非常な相違がある。

 だから真にクスリをクスリとして生かすには、東洋的に、その人に応じて分量を加減しなければならない。

 新薬もその方法によるとき、ほんとうの効果が発揮できるが、西洋的に年齢による平均値で皆に用いさせる方法は非常に危険である。

 そもそもクスリというものは世の中に一つもない。またその反面からいえば、いっさいがクスリならざるものはない。その病に適した物質を、適量に、適当の時機に用いて、しかも病がなおる範囲内がクスリであって、その前後は、如何にクスリと名がついていてもクスリではない。

 その過不足によって、毒にも変ることを知らねばならない。

 またクスリも植物性のものは比較的害が少ないが、鉱物から採ったものは、如何に病をなおしえた適薬であったとしても、長く用いると毒に変じて故障を起こす。

 それは現在の農薬がちょうどそれで、作物の増収に気をとられて用いているうちに、地質に変化をきたし、その含有毒素が植物に吸収され、やがては人体に悪影響を及ぼしてくる。

 当初はたいした害でなくとも、長い間にはそれが積み重なって、遂には抜き差しならぬ結果を引き起こす。

 現在の科学者は、ただ目前の瞬間的善悪によりものの功罪を決めて、永遠の計を見失っているところに、非常な危険性がある。

 ゆえに新薬をみだりに用いることは、よほど注意しなければならない。

現に今、流行していてもすぐに廃たるものが非常に多い。それは反面の特長を知って、反面の害を見落としている結果である。

 過去に、結核の治療法として盛んに行われた、肺の気胸や、肋骨を数本切除して、その空洞にピンポン玉や合成樹脂の玉を充填する療法も、今では廃ってしまった。

 そして当時、亡国病のように恐れられた結核も、それをやめてから死亡者は激減し、療養所の空きベッドが多くなった。

牛の脳下垂体の人体移植も大流行したが、今ではほとんど見かけない。

 今まで新治療法や新薬といって全国的に大流行したものが、短時日の間に廃ってしまったものが大部分であるが、これらは当初よりその効果のほどが疑われる。そしてそれが最初から間違っていたとすると、戦禍にまさる罪悪である。

 したがってなおさら、クスリはみだりに素人が用いるべきものではなく、クスリに対しては、よほど注意しなければならない。