大人(たいじん)は小事のため危地に入るを懼(おそ)れ 天下のため身を捨て道に生きることを楽しむ
この世の中のことは、何事でも同じことがいえる。
ごく身の軽い者は、些細なことから喧嘩をし、人を傷つけ、自分もまた傷つけられたりして、自己というものを非常に粗末にする。
たとえば花見遊山などに行って少し酒がはいると、どこの誰ともわからずに、なんの遺恨も関係もない者に、ほんのチリほどのことで問題を起こしている。
それにひきかえて、大人物は些細な事で自分を傷つけることは愚かなことであり、また損であるから、そういうところはみな避けて通り相手にしない。土佐犬は小犬がどんなに吠えようとも、ぜんぜん見向きもせずに行ってしまうが、それと同様である。
またライオンや虎のような猛獣も、その檻の中へネズミやスズメがはいってきて、餌を食べたり漁ったりしても気に止めない。しかし一つ大きなものが入ってくれば、その猛獣の力を発揮して徹底的に抵抗する。
釘を打つにしても、小さい釘には小さな金槌でじゅうぶん事足りるが、大きな釘を打つ場合には、小さな金槌では応えない。
また同様に、大きな刃物で鉛筆などを削るのは非常に不便であって、やはり世の中のことはすべてそれ相応のものをもってして、はじめてその真価と効果を発揮できるものである。
それで大人物が細かい事を避けて通るのは、反面から見れば勇気がないように見えるが、それは差引き相殺して、軽率なことで身を危地に置くことは非常に不利になるからである。
ゆえに人は不断に注意して、自分が重大な役割をするだけの力がありながら、目前の利害に捉われて判断を誤り、一生を棒にふることは避けなければならない。そのようなときには、感情のもう一つ奥に遡って差引き計算し、損のない行動をとることが大切である。
普通人からみれば、一見して勇気がないようであるが、一時的な興奮で総合判断を誤るような愚をおかしてはならない。
人は、自己の価値が貴重であることを知れば知るほど、些細な事で身を危地に置くことを避ける。
それは個人のうえでも、国際関係でもみな同じである。
ゆえに真の大人物は小事に拘泥せず、国家社会のためには生命を投げ出して、一歩も引かず善処してゆく。