宗教を一口に迷信視するものは正邪を区別する知識が足らぬゆえ

 真の宗教は、森羅万象一切のものに通じた根本原理から出発し、そして常識以上の深いところまではいって、その基準尺度により、正邪善悪の区別を立てて、正しく導いてゆく。

 ところがその原理があまりにも深いために、普通の人には理解し難く、ほとんどそれは不可能といってよい。

 そこにその指導者の説く原理が、日常いっさいの出来事に完全に当てはまって、そして正しい軌道に立ち戻っているにも拘わらず、それは一見すると、非常に神秘な不思議な現象のように見えてくる。

 しかしそこには全部、一つ一つ、秩序整然とした原理法則がその裏面に潜在している。だが一般の者はそれを看破することができないために、正教と邪教の区別が立たなくなる。

 それで中には、蛇や狐などの動物霊をつかまえて、そしてそれの変わった動作を見て、人間の常識以上の現象があると、それを誤って神とし拝み信仰して、そして迷信に陥り遂には滅亡してしまう。

 ほんとうの神の道(真理)というものは、どの方面へ、また如何なるものに当てはめても平等に共通して働く。これに通じてあれに通じないということがない。

 これに対し動物は、どんなものでも一つは人間以上の力を持っている。しかしその働きはその範囲内から一歩も出ない。

 たとえば人間は、大地から飛び上がっても限度は知れていて、せいぜい一間か二間、ところがトンボやスズメは五重の塔でも飛び越える力を持っている。

 また蜂のようなものでも、人間がこのごろは生活様式が進んできて、アパート住まいの集団生活に変わってきたが、蜂は何万年も昔から一大共同生活で、何千、何万とも知れない集団がアパート住いをして、一匹一匹が一室内で生活をしている。ミミズやモグラは地中を自由に歩いている。犬のようなものでも人間が知ることのできないものを、嗅覚によって探し出す力を持っている。

 そのように如何なる動物でも、一つだけは人間以上の優れた点があり、その一部分を見て全体が進んでいるように思い、信仰の対象とするときには、大きな間違いを起こして失敗をする。そしてその迷信のため身を滅ぼす結果に陥る。

 ところが真の正しい宗教は、迷信でなく非科学でなく、一般の五感の奥に潜在する総合原理を中心起点として、その原則によって日常生活を指導してゆく。そこに、真の幸福と永遠の発展がある。

 ゆえに真の宗教は、政治であろうと、経済であろうと、科学、教育、医学、哲学、その他いっさいに共通一致する総合原理によって善導し、三世に一貫して合理的に働くものである。

 そこに正教と邪教の区別があり、一概に宗教を迷信視することは、人々がその原理に気付かないためである。そして現代はますます自然の道から遠ざかり、世の中がたいへんな混乱状態に陥ってしまった。

 従来の宗教は、人智未開の時代に創始されたものであって、観念論の範囲内から一歩も出ていない。しかし現代は、文化が進み世の中が非常に複雑化してきたから、これまでのような唯心的観念論では解決しきれない。

 空を飛び、月の世界へ行くまでに科学が進歩してきた今日の宗教は、その指導原理が、一切万有に共通して余すところなき原則でなければならない。

 そして、その中心起点から再出発するときに、はじめて、今日の混乱状態に対処する新しい道を見いだすことができるのである。