小人(しょうじん)は日収のために身を危地に置くも天下の大事には懼(おそ)れて色を失う

 人というものは、皆その人その人によって、同じ地球上に住み同じ世界におりながら、天分による器の大小で、事物に対する観察力、思考力というものがおのずから限定される。

そこで小人は視界が非常にせまく、その範囲内で計算をたて行動している。

 ところが大人物になると、その観点が非常に高いから視野が広く、計画は遠大である。したがって自己の価値もそこに標準を置き、そのうえで総合判断し行動する。

 ゆえにその日その日の生活に汲々としている者は、比較対象物が極めて低いために、些細な事にでもわれを忘れて危険な行動をとり、そして失敗をする。

 これに対し遠大な理想目標をもつ大人物は、無意識のうちにも自然にその構え態度ができていて、刹那的感情にとらわれることなく、目前の利害打算を離れて総合判断し、些細な事から一生を棒にふるような愚をおかさない。

 このことは一見して、いかにも勇気がないようであるが、自己の真の価値を知り、遠大な計画目的のあるときには、小事に拘泥して身を危険にさらすことは、差引き大きな損失になるからやらないのである。

 しかしそれが価値あるもの、また自己の価値より以上に価値あることには、全力を投じて思う存分、打ち込んでゆく。

 ゆえに人は常に目標を高くもち、自己の住む世界を出来るだけ拡大して、視野をひろめ、その広漠たる中に重点を見いだして行動してゆくときに、人は生き甲斐のある生活ができて、自己の価値をより高めることができる。

 人はこの世に生まれ出て、せいぜい五十年か百年しか生きることができないのに、なおそのうえに、小事のために身を破滅におとすことは非常な損失である。

 人は常に大局を達観して、遠大な最高理想目的をたて、その総合利害判断のもとに行動するときには、一時的感情にとらわれたり、刹那的快楽で身を誤ることがなく、普通の者ならば必ず目的を達成することが可能である。  このことは物事をやり遂げようと思う者にとって、出発点における、大切な心構えである。