弟 昇天御礼

西宮市 植田 和子
教祖様、日々、御守護賜りまして、誠にありがとうございます。
この度は、弟が5月18日、尊い御神光に包まれ、安らかに昇天させて頂きましたことにつき、御礼を申し述べさせて頂きます。
弟は平成19年5月にアルコールが原因で肝臓を患い入院。
その後、次々と予期せぬ重い病に悩み苦しみ、果ては余命1年も難しいと言われ、途方に暮れておりましたところ、幸いにも代参による入信のお許しを賜り、同年9月12日に、念願の尊い御縁を頂くことが出来ました。
それ以来、お蔭様で、日増しに良くして頂き、翌年3月には、思いもかけず早々と退院をさせて頂くまでになりました。
それから転生の日まで、日々を尊い御守護のもと、ほぼ8年に及ぶ年月を、自宅にての療養生活ながら、無事、家族と共に過ごしてまいりました。
本当にありがとうございました。
もともと食は細かったようですが、4月に入り急に食欲が出ず、そのうち何も口にせぬ日が多くなりました。
見かねた義妹(嫁)が『しんどくないの?』と尋ねると、都度弟は『しんどくない!』ときっぱり答えていたようでございます。
そのような弟が、突然5月5日、8年ぶりにどうしても私宅に来たいと言い、夫婦でやってまいりました。
やせ細った身体を両脇から支えられ、リビングのソファーにもたれかかって座り込みました。
早速、5月3日に御下付賜りました大切な御守様を新しい袋ごと取り替えさせて頂き、『大事な御守様よ』と言いながら、そっと首にかけてやりました。
そして手渡した御神水を気持ちよく、とてもおいしそうに頂いておりましたのが最後でございました。
私は弟に寄り添い、手を取りながら、なぜか矢継ぎ早にお参りのことなど、元気づけようと思い、話し込んでしまいました。
夕方まで4時間あまり、あの体力で良く頑張ってくれたと思います。
最後の力を振り絞り、わが家を訪ねてくれたのも、今にして思えば、私たちへの別れの挨拶に来てくれたのだと知りました。これも偏に
教祖様より尊い御守護を賜り、させて頂けましたことと、深く感謝申し上げております。
それから十日後の5月14日、ちょうど、伊丹の近畿中央病院での定期検診日になっておりました。
義妹の要請もあり、初めて私も同行致しました。
結果は、即刻そのまま入院となり、以後24時間態勢の危篤状態に陥りました。
終始、家族と私達3名(姉妹と末の弟)が入れかわり見守る中、5月18日、午前8時34分、家族に看取られ、
教祖様の尊い御神光に包まれて、弟は安らかに昇天させて頂きました。
行年74歳。
弟には定命と受け止めております。
肝硬変と記されておりました。
つきましては、『御神座祭』の尊い日に、お手数をおかけ致しましたこと、何卒、お許し下さいませ。
会長様には何かとありがたい御言葉、御心をたくさんに賜りまして、早々に、特別霊救済のお許しを頂きましたこと、何よりもありがたく、心より厚く御礼申し上げます。
また、事務局の方にもその間、再々お世話になりましたこと、本当にありがとうございました。
通夜、告別式は天候にも恵まれ、ごく少人数の家族葬にて、無事送ることが出来ました。
昇天より2日後、最後の別れの時を迎えました。
安心しきったように、やや半開きになった口元に、御神塩を頂戴させて頂きました。
やや細っていたはずの顔には皺も見えず、男らしくスッキリと整わせて頂き、眠るが如く、安らかな相貌にして頂いておりました。
思わず、何度も何度も頬に手をあて、さする様に触れてみましたが、生前と同じく、とても柔らかで、少し冷たいと感じる程度でした。
手にも触れたいと思いましたが、生花に埋もれて叶いませんでした。
急いで足にも触れてみましたが、やはり柔らかで、むしろ普段と変わらぬ感触に驚きました。
思わず心の中で弟の名を呼び、『大丈夫よ!』と声をかけました。
最後まで大きなお蔭を賜り、目の当たりにさせて頂きまして、万感、胸にこみ上げる思いでございました。
勿体なくも、御縁を賜りながら、ついぞ参詣の栄に能わず、代参に甘んじて、ご無礼の身に終わりましたことを、何卒、お許し下さいませ。
そして、弟が最後の8年をありがたくも、尊い御守護のもと、無事に過ごさせて頂きましたことを、改めて感謝申し上げ、心より厚く御礼申し上げます。
教祖様、長い間、本当にありがとうございました。