東日本大震災で賜りました御蔭

齋藤 羊子(足立区)
教祖様、日々御守護賜りまして、心より厚く御礼を申し上げます。
大変遅くなりましたが、昨年の東日本大震災で賜りました御蔭について御礼を述べさせて頂きます。
私は平成23年1月20日に転生させて頂きました母・藤原千多歌(齋藤榮子)之霊の昇天特別霊救済の50日間の御参りを、大震災の前日3月10日に無事納めさせて頂きました。
翌11日は金曜日で、私の当番がお休みでしたので、どうしても自分の手で母の祭札を西宮教会に納めさせて頂きたく、早めに新幹線の切符も用意しておりました。
当時の私は、長い間の介護の末、母を見送り、体力的にも限界で、朝早くには伺えず2時の『御神語奉唱』に出させて頂いて、帰らせて頂くつもりで、1時半ごろ着かせて頂く予定で家を出て、順調に西宮教会に到着させて頂きました。
母の祭札を無事に納めさせて頂きまして、定時の『御神語奉唱』にも参加させて頂き、喜びと感謝で胸がいっぱいでした。
そして、事務所に帰りの御挨拶に伺いますと、テレビには東京の地震の模様が映し出されていて、それは、まさか!と目を疑う程の映像でした。
新幹線も動いていないらしいということでしたが、取り敢えず帰りの列車の時間も迫ってまいりましたので、心配して下さる皆様に『一応新大阪まで行ってみます』と教会を出ました。
新大阪駅は人で、人で溢れていました。
そして地震の為、新幹線(東京方面)は全線運休、再開の見通しはたっておりませんとのアナウンスが繰り返されるばかりで、払い戻しのどの窓口も、あっという間に長蛇の列になってしまいました。
今までに経験したことのない非常事態に、私はとにかく早くホテルを予約しなければと思いましたが、大阪は全く分からず、一人で心細くなってしまい、申し訳ないとは思いましたが、西宮教会にお電話をさせて頂くしかなく、この状況をお話しさせて頂きましたところ、有難くもホテルを教えて頂き、何とか宿を確保させて頂けました。
教祖様誠にありがとうございました。
あのような非常事態で大勢の方が困っていらっしゃる中、その方達には申し訳ありませんが、寒い思いもせず暖かく眠らせて頂き、感謝の気持ちでいっぱいでした。
翌日も、お蔭様で順調に東京まで戻ることが出来まして、家には戻らず直接、東京教会の当番につかせて頂きました。
東京教会は何ひとつ落ちたものもなく、御神光の偉大さに驚嘆致しました。
その晩家に帰りますと、14階ですので部屋の中は大変なことになっておりました。
冷蔵庫は扉が開いてピーッピーッと警告音が鳴りっぱなしで、食器棚は扉が全開で殆どの食器が割れて散乱していました。
六畳の和室は、和箪笥がベッドに向かってバッタリ倒れていて、お風呂も八分目位あったお水も蓋が外れ、全部外に出て空になっておりました。
地震の揺れの凄さに驚き、もし東京におりましたら自宅にいてどんなにか怖い思いをしたことかと、お守り頂きましたことに心から感謝申し上げました。
また、家具等があんなに倒れたり、食器が散乱しておりますのに、何と神棚の御社はビクとも動いておりませんでしたし、母のお骨も全く動いておりませんでした。
教祖様がお守り下さったと涙が出ました。
教祖様のお導きは、一分一厘の狂いがないとお教え頂いておりますが、正にその通りの体験をさせて頂きました。
遡って考えますと、母の転生の日、1月20日も教祖様が母に定めてくださった定命の日だったと感じます。
転生から50日間、昇天特別霊救済の御祈念を、心を落ちつけ、しっかりさせて頂きまして、その翌日が東日本大震災です。
もし、母の転生が震災後でしたら、テレビで緊急地震速報が頻繁に流れ、余震の強い揺れが一日に何度となく襲い、心落ちつかせてお参りさせて頂く状況ではありませんでした。
また、母がこのような時にまだ入院していましたら、計画停電もありましたし、自宅や病院のエレベーターも止まったりで、私は病院に行くことも出来ず、母のことが心配で心配で居られなかったと思います。
そして母も怖い思いをせず来世に旅立ってゆけましたこと、本当にありがとうございました。
教祖様に、どんなに最悪の事態に遭遇しても一人一人に適した状態で、一分一厘の狂いない御守護を賜ります私達信者は、本当に幸せでございます。
教祖様誠にありがとうございました。
至らぬ私ではございますが、今後共正しい信仰に入らせて頂けます様お導き下さいませ。