現代人は、医薬迷信のため健康と寿命と富を失う額は、戦禍に勝る

 

 何事でも、決定的なものは一つもないが、人は決定的に、ものの価値が定まっていると思うところに錯覚があり、矛盾を生じてくる。

 たとえば食べ物の味にしても、満腹のときと空腹のときでは味わいが違い、またその人の体質やいろいろの原因によって、好き嫌いができてくる。

 分量においてもそのとおり、一合の飯で満腹する人もあれば、五合、一升と食べる人もある。酒でも、盃(さかずき)いっぱいで真っ赤になる人もあり、一升酒も平気な人がある。それと同様にクスリにしても、その人その人で、体質や抵抗力によって適量が異なってくる。

 ところが食べ物の場合は、味わいと腹加減によって、大体その適量が自覚できるが、クスリとなると不断に必要のないものであるから、味覚、味わいによって、みずから適量を決めることは不可能である。ましてや注射などになると、ぜんぜんその見当がたたなくなる。

 しかしクスリというものは、そのときの病に適した物質を、適量にとって、そしてその病がなおる瞬間だけがクスリであって、その前後はクスリと名が付いていてもクスリの価値がなく、逆に分量を誤ると毒薬に変ずるものである。

 ゆえに医者にかかって、一般には適薬とされているクスリでも、往々副作用を起こしたり、はなはだしいときにはショック死をして命を失うことがある。すると、医者の方では異常体質として片づけている。

 それはちょうど、奈良漬で酔う人に一升酒を飲ますようなもので、統計のうえで平均量を出し、一般の人に用いたら、多数の人の中には必ずそれがために命を失う人ができてくる。

 それで東洋では“応病与薬、サジ加減”といい、また昔から“三代つづかぬ医者にはかかるな”というくらい、医者の経験を重んじ、医者も、患者の体質や抵抗力を知り抜いて適量を盛ってゆくから、東洋医学の方は過失が非常に少ない。

 それに対し西洋医学は、すべて統計によって平均量を表わしている。そこに非常な危険性がある。

 ちょうど戦時中に、食料を年齢によって、二十貫(八十キロ)の人も八貫目(約三十キロ)の人も、同じ量で配給していたのと同様である。

 したがって市販される売薬は、多数の中で最も抵抗力の弱い人に用いて、なお害のない程度に分量を定めてあるから効き目がない。だからといって、自分の抵抗力も知らずに何倍も用いるとかえって害になる。

 ゆえに厳密にいえば、クスリによって治る人よりも、かえって悪くなる人の方がはるかに多い。その証拠には、非常に用心深くて少し変調が起こるとすぐ医者にかかる人と、クスリの嫌いな人とを比較対照してみると、総体に、医者を嫌っている人の方が健康で長生きをしている。

 また最近は手術が非常に流行して、悪い個所があるとすぐ切除してしまう。これは正しい医学からみれば、その中心軌道から外ずれている。

 そもそも切り取るということは、万止むをえない非常手段にすぎない。ほんとうの正しい病の治療法は、必要な部分は少しも損なわず、悪い部分の不純物だけを体外に排出して、本然の姿にもどし、健康体に回復せしむることであり、それが医学の理想的あり方である。

 いま仮りに、顔の一部をハチが刺すと、顔全面が腫れ上がり、眼まで塞がるほどになる。それはハチの剣先から出た粟粒二つ三つほどの毒薬が、血液にはいり全体に回るからで、一見すると顔全体が悪いように見える。しかし事実は、ごくわずかな毒素がそういう現象を起こしているのである。その毒素だけを外部に排出せしめたならたちまち全体の腫れが引く。

 それと同様に、仮りにガンが胃腸や、膀胱や、あるいは子宮などに繁殖して、切開してみると、たいへん腫れて色まで変わっている。なるほどその部分には、毒素が回ってはいるが、ほんとうの毒素は極めてわずかなもので、それが血液に混じって広い範囲を侵しているのである。

 その毒素を体外に排出すれば、大切な内臓部分を破壊せずに健康状態に戻ってくる。

 それは、宗教的にいう偉大な神の力に触れると、患者の生理機能を妨げている矛盾が改まり、その機能が正常に戻れば、たちどころに新陳代謝が旺盛となり、毒素は体外へ排出される。

 そして肺の空洞も、ガンの腐食した部分も、すべてが正しい本然の姿に戻って健康体となる。それが医学の中の最高医学である。

 ところが今日の医学は、生きた人間を物質的にみて、顕微鏡や試験管によって悪い部分がわかるとすぐ切開手術をする。そして、善悪の区別なく切除してしまう。

 そのために大切な内臓が傷つけられて、生命は幸い取りとめたにしても、生きた屍(しかばね)同様な余生を送らねばならない。またひどいのは、そのままにして、自然治癒を待てば長生きできる人までが、短時日の間に死んでいる。

 これらはみな、病の本源を極めずして、現われてきた現象のみを捉え、そして機械的に、形の上だけで治そうとする西洋医学のあり方が、正しい医学の中心軌道から外ずれているためであって、そのために斃れてゆく人の数は、戦争で蒙った損害よりもはるかに多いという、誠に恐るべき結果が現われている。

 ゆえに病をほんとうに治そうとするには、病の起こる原因、すなわち自然の法則に反して起こった矛盾を、はっきりと看破して、それを改め、そして正しい軌道に引き戻さねばならない。そこに真の医学としての最高の道がある。

 しかし人智はまだそこまで進んでいないから、目に見えず、手に取れないその原因を看破することができず、多くの人を不具廃人にしている。

 そして、その無智なるがために蒙っている、健康と寿命と富の被害は、戦禍の幾十幾百倍にもまさり、その恐ろしい結果が日々生じている現状は、よほど考えるべきものと思う。