現代人は科学迷信のため 原水爆を造って人類滅亡前夜に迫った

 人間は有形の物質的肉体と、無形の精神的生命の両面をもって生存している。ゆえに物質的肉体の一面だけに片寄っても、生存の意義をなさない。また目に見えず手にもとれない精神だけによっても、成立しない。

 そしてまた、人間には男女両性があり、相反した特徴をもちながら、それが寄って調和するところに、人類の発展がある。

 もし男性だけ、または女性だけになったとすれば、人類は百年も過ぎないうちに、この地球上から消滅する。

 またこの地球には、赤道を中心として南極、北極という相反した両極があり、人間にも西洋の欧米人と、東洋のアジア人とが存在して、やはり相反した素質と傾向をもっている。

 そして西洋人の特徴は、有形の物質を微に入り細をうがって、末端へ末端へと分析究明する。これに対し東洋人は、より総合的に、より内面的にと、ものを精神的に捉え、その内奥本源に向って追求してゆくところに特色がある。同じ地球上の人類でありながら、西洋人と東洋人では、その本質に、このような相反した違いがある。

 たとえば、米麦は全く相反した時季に成長し収穫される。そのように過去2-3百年間は、西洋、白色人種の活動発展期であり、完成収穫期であった。

 したがって、白人が最も得意とする科学技術が非常に発達し、それにもとづいて物質科学文化が栄えた。そして現代の社会は、有形的、外面的には未曽有の躍進をなしとげ発展した。

 ところがその反面に東洋の精神科学文化は、遅々として見るべき進歩を示さぬのみか、むしろ退歩堕落して、その結果は、人類のための高度の水準に達した物質文化が、かえって人類自信を害している。

 その唯物的な科学文明は、進むに正比例して、あらゆる方面にわたり矛盾、対立、抗争を引き起こし、いまや世界の危機はますます増大し、人類の死期はいよいよ速まりつつある現状である。

 それはあたかも優秀な自動車を、居眠りや、酒に酔って運転しているのと同様に、まさに狂人に刃物である。

 したがって今日の急務は、精神、物質両面の間の、このような不均衡をすみやかに是正し、物質にも片寄らず、精神にも片寄らない、両者の全き調和のうえになりたつ、新しい理想文化をうち出すことでなければならない。

 時計の振り子も、左右均等に動いてその活動は永続する。また海の波も、水平線を中心として上下に等しく動く。そのように、ものには自然の法則があるにも拘わらず、現代人は、振子が一方へ動けば、それは一定限度までいって再び中心に戻り、つぎには反対方向に動くという原則を忘れて、永遠に同じ方向に進むものと思っている。

 およそ今から7百年ほど前、蒙古のジンギスカンが、地球上の7割までも征服したことがある。それは東洋、アジア人の方へ振子が動いたのであって、それも限度までゆくと、つぎには反対側の西洋、欧米人の方へ動きが変わり、以後進んで来たのが今日の物質文化である。

 しかしそれも限度までゆけば、再び反対側に振り子はもどるのが法則であって、今日の世界は、その振り子がまさに戻りつつあるにも拘らず、人は永遠にそのまま進むものと思っている。そこに大きな妄想錯覚がある。

 西洋の物質科学文化の進歩にもおのずから限度があり、自然の摂理によって、つぎは東洋の精神科学文化の方へと時代は漸次移行してゆく。

 そして物心両文化が調和し、総合一体化するとき、初めて人類が求めようとして得られなかった、理想平和の世界が展けてくる。

 現代はその大転換の時機に来ており、その重責が、東洋のアジア人、特に日本人に課せられている。

 ゆえに今日のアジア人は自己本来の立場を自覚して、“時„の流れに順応し、対処してゆくとき、今日のめざましい進歩をとげた物質文化が、真に人類を益する文化となる。そのどちらかへ片寄っても、人類のための文化であるべきものが、人類破滅の教規と変るのである。

 それには最高指導者が目覚めて、大衆を本軌道に導いてゆかねばならない。特に全人類の中で、その重大な役割が東洋、アジア人にあり、アジア人の中でも、特に日本人に、その重大使命が課せられている。