神は公平にして因果の法則により人を正確に裁く

世の中には、思うようにならないで悩んでいる人が非常に多い。その原因はどこにあるか。

この現象界は複雑々多で、非常に雑然としているように人は見ている。しかし事実は、その中に、実に寸分も狂いのない整然とした法則があって、その法則のもとにすべての現象が現れてきている。

ところが、人はその法則を知らず、ただ自分の考えだけで事をしているところに、目的と結果がくい違い、思うようにならない。

何事でも同じであるが、それは、玉突きを見ているとよくわかる。名人が突けば、たとえば、手元の玉に当てるのに遠くへ突いて、その反射的動きを利用し実にうまく当ててゆく。ところが慣れない者が突くと、玉は意外な方向に走って思うように当たらない。

やはり玉突きでも、突く人の正しい姿勢、動作、玉の位置、角度等による計算があって、かつ熟練すると、玉は突かれたとおりに動き、自由自在に当たってくる。

それが、その原則を知らず、また仮りに知っても、熟練しないと玉は思うように当たらない。

 

それと同様に、何事でもみなそのとおり、こちらがすることに応じて、神はその人に、正確にその結果を答えてくれる。

ゆえに事が思うように成らないということは、神が与えてくれるのではなくして、自分がそういう行いをして、それ相応の結果が現われてきているのである。

そこで自分が幸福な境涯にはいろうとするには、その神の掟、法則というものをよく弁えて、そしてそれに素直に従ってゆくときに、目的以上の結果が得られる。

その法則が神の示された道であるが、人はその法則を無視し、神を忘れて、浅薄な人智のもとに我流で実行しようとするから、目的と結果が相反して永遠に救われる道がない。

 

ところが、その法則、神の道を得ようとしても、なかなか自力では容易に得られない。

それは過去から積み重なってきた永い間の悪因縁によって、人は、心の鏡に狂いを生じているからである。その歪みや曇った心の鏡で、ものを判断するところに、道を誤って、いっさいの矛盾や悩みが生じてくる。

なかには神も仏もあるものかといって、なおそのうえに無軌道的になり、自暴自棄のやり方に陥っているのが現代社会の状態であるが、神の道、自然の法則は寸分も違わずに正確に結果を現わす。

よって、如何なる最悪の時期に直面しようとも、また世の中がますます複雑混乱状態に陥るとも、否そうなればなるほど、その道をよく見極めて、そして誤りのない日常の行動を進めてゆくときに、真の幸福と永遠の発展がある。

 

最悪の時期には、最善の指導者が出現する。

その指導者に会えば、そして指導者の指示を固く守り、かつ従ってゆくときは、他力的に、正しい軌道に乗って救われるのである。