自己の力と等分以上の財産は重荷となり、 禍(わざわい)あって益少なし
何事でも自己の力に応じて事をしないと失敗をする。十人の頭(かしら)が、必ずしも千人の大将にはなれない。
蛤(はまぐり)でも、サザエでも、自分の体に合った貝殻の中にいるから自由がきくが、蜆(しじみ)が蛤の貝殻に入ったのでは大き過ぎて動きがとれない。
陰陽五行の説にもとづくいわゆる家相にしてもそのとおり、立派な人が住んで良い家相であっても、同じ家に実力のない者が住んだのでは、蜆が蛤の貝殻の中にいるようなもので、かえって悪い家相となり、潰(つぶ)れる。
荷物にしても、自分の力相応に背負うのは楽だが、ボロの風呂敷に重い荷物を包むと破れる。
ゆえに何事も、自己の力と余りかけ離れたものを望むことは、禍あって益少なく、よほど警戒しないと失敗をする。財産でも、地位でも、仕事でも、自己の力と釣り合いがとれているときが最も健全、適切である。
それで無一物から財を成した人は、その間に力ができているから、それを守ることは楽だが、苦労していない息子がその跡を継ぐときには、よほどの努力をしないと持ちきれなくなる。
そこで親が息子に事業を継がせようと思えば、自分が健在の間に仕事をさせ、息子が実力をつけてゆけば、後をまかすことができるわけである。
すべて無いところから徐々に積み上げてゆく場合には、次第に訓練され、力がついてくるから維持し易いが、それを途中から、苦労していない者が突然に受け継いだ場合には、たいていは、いろいろのものが寄ってきて、その誘惑の罠(わな)に陥り、かえって禍を招く場合が非常に多い。
財産にしても、事業にしても、大きくすれば必ず発展するとは決まらないから、常に自己の力をよく自覚して、分相応に計画を立て、そして実力がつくとともに伸ばしてゆくことが最も楽であり、また合理的に発展してゆく。
仮りに使用人が十人で順調にいっていても、五十人で五倍の成績をあげ、百人になれば十倍の成績をあげるかというと、そうはいかない。儲かるからといって、自己の実力以上に拡大することは失敗のもとになる。
ほんとうは商売も、無一物から始めるのがよい。資本を持たないで始め、そして大きくなっていったものは失敗が少ない。資本が無いからできないというのは、まだほんとうの真剣味が足りないのである。
無一物から元手をこしらえるくらいの努力、真剣味がなかったなら、結局は無にする。事業を起こすにも、ほんとうに真剣になれば、元手は借りに行くよりこしらえるほうが早いものである。
そして、一つの事を成就することができれば、そのコツ(ものごとの極致、呼吸、要領)は、何事にも共通して応用ができる。