西口 保の作品が月刊誌『PHP』の表紙に選ばれて

吹田市   西口 正子

主人・西口 保が描き続け、残しましたギャラリー『童画村』の作品につきまして、申し上げさせて頂きます。

私は、主人・西口 保の描き残しました大切な数多くの作品が、人々の心に届くことを願って、自分なりに努力をさせて頂いてまいりました。そして現在まで、お守り賜りまして、少しずつ各企業や、民間、団体等に途切れることなく、大切に作品を用いて頂いております。

昨年(2017年)8月のある日、日参の帰り道、JR大阪駅で突然携帯電話が鳴りました。全然知らない人からで、初めは何のことか分かりませんでした。若い女性で、よくお聞きしましたところ、インターネットで主人・西口 保の作品を見ましたが、原画を見てみたいとのことでした。しかし現在、ギャラリー『童画村』のホームページは作り直しで製作中ですのでインターネットには掲載しておりません。お話をよくよくお聞きしましたところ『「ティールーム あ 」のホームページで見た』と言われます。それで納得がいきました。

ずっと前に原画展を開催した際、原画を喫茶画廊『ティールーム あ 』の店主に預けたままになっていました。この画廊は主人が入院する前に、次の会社経営のために借りたビルの隣にある『喫茶画廊』です。今年に入りまして、引き取りに行くことも進めていました。何でインターネットにと思いましたが、相手の人は会社名を名乗られましたが、よく聞き取れませんでした。とにかく、何のことか分からないので、よく調べてお返事をさせて頂くことにしました。

次の日くらいに、会長様に御指導を賜りました時に、この件についてお聞き頂きました。私は会社名を『PTP』と聞こえたように思いましたので、その通りお伝えさせて頂きましたところ『それは「PHP」ではないですか?』とお尋ねになりました。

しかし私は、あの有名な月刊誌『PHP』とはとても思えませんでした。はっきりと『いいえ「PTP」と聞きました』とお答え致しました。会長様は『そうですか』とおっしゃいました。教会からの帰り道、やはり少し聞きづらかったことも気になりましたので、女性の方に連絡をさせて頂きました。会社名は月刊誌『PHP』編集者です。とのことびっくりしました。

会長様にすぐに連絡をさせて頂き、御無礼な返事をしましたことを、心よりお詫びさせて頂きました。

そして編集者の女性が原画を見るために御来社されました。急遽この日のために実家に置いていました原画を会社へ運びました。皆で協力し、きれいに会社内に、原画展のように展示させて頂くことが出来ました。

女性編集者の人は全展示の作品をご覧になり、心から満足して下さいました。そして作家(主人)のこともお聞き下さいました。そして、次のように語られました。

『平成29年12月号まで表紙の絵を描かれた方が御高齢のため、新しくなります。平成30年からの、表紙の絵の作家の作品を探すことになった』とのことでした。

それでインターネットで一生懸命探しましたが、良いと思う作品になかなか巡り合えずにいた時、インターネットの片隅に『ティールーム あ 』で西口 保の作品に出合いました。それで是非、原画を見てみたいと思いましたとのことです。本当にうれしく思いました。

初めにも述べましたように、喫茶画廊『ティールーム あ 』は、主人が入院する前に、次の会社経営のために借りたビルの隣にある喫茶画廊です。街の人の絵を無料で展示されている場所です。私は店主がホームページに主人・西口 保の作品を出していることを知りませんでした。

店主から聞きましたことは、ある時女性の編集者からホームページで見た作家・西口 保の家族、西口正子の連絡先を何度も聞かれましたが無断で個人の電話番号を教えることは出来ませんと、断り続けたのですが、再三に渡り、お願いの電話があったとのこと。相手の方の人柄が安心できると決断され、お教えしました。ということでした。それでこれまでのことが理解出来ました。

女性編集者の方はインターネットでも探し続けましたが、適当な作品が見当たらなかった時に、西口 保の作品に出合えて、決められたことを話して下さいました。

約20年前に主人が入院する前に借りたビルの隣の小さな喫茶画廊との不思議な巡り合わせを賜りましたこと、心より深く感謝申し上げます。

編集の方は『本日二作品と作家・西口 保のことを、会社に持ち帰り、私の推選作品として提案させて頂きますが、他の作品も企画に入っていますので、今のところ選ばれるかどうかは分かりませんので、ご了承下さい』とのことでした。でも、笑顔で、満足されて帰られました。

しばらくして連絡がありました。『編集長、副編集長、編集部の本人の三名で、九月五日午後に伺います』とのことでした。『編集長の御来社ということは、西口 保にもう決まったんと違うの?』と話を聞きました主人の甥が言ってくれました。

そして当日、テーブルに着かれた編集長より『この度、数々の候補作品の中から全員一致で、西口 保の作品に決まりました』と報告を受けました。

本当に良かったと思いました。そして一枚の依頼書を提出して下さいました。

 

内容につきましては、

翌2018年1月号から『PHP』誌の表紙は西口 保先生にご依頼します。

月刊誌『PHP』は創刊70年。100万人に読まれています。

2018年1月号から『デジタルPHP』として『月間PHP』を電子化し、

発売(配信)します。

そして現在、『PHP』誌を音訳し全国の約110ヶ所の点字図書館に寄贈し、目の不自由な方々にお届けしていますので、その音訳も引き続き進めさせて頂く旨の要請。

PHP研究所『PHP』編集部

 

と記されていました。

そして『まず平成30年から、1年~3年の間で作品を表紙に使わせて頂きます』と編集長より伝えられました。そして3名で展示されている原画をすべて見て下さいました。

帰られる時に、エレベーターで下まで降りてお見送りさせて頂きましたが、1階に降りた時に、段差10㎝のところで足を踏み外して右足の膝を強打してしまいました。かなりの緊張だったと思います。『しまった』と思いましたが、痛みはあまり感じませんでした。

すぐに御供物を使わせて頂くことを思いました。しかし『膝の皿が割れたかもしれない』と咄嗟に思いましたが、3名の方もびっくりされ、『大丈夫ですか』と尋ねて下さいましたが、『大丈夫です』とお応えしました。そして無事に見送らせて頂きました。

6階の会社に戻りました時、このことを全員に伝えましたが、不思議なことに痛みが余り感じられませんので、その後このことをすっかり忘れていました。

すぐに編集者の人からお気遣いの電話を頂きましたが、『大丈夫です』とていねいにお礼させて頂きました。今のところ、現在まで右ひざは、何事もなくお守り賜っていますこと、深く感謝申し上げます。このことにつきまして、

会長様より『大きく全て尊い御神光に包まれて、お守り賜っていると思われます』とお言葉を賜りました。誠にありがとうございます。依頼書は

教祖様に感謝申し上げさせて頂き、会長様にご覧頂きました。誠にありがとうございます。

その後、『平成30年新年号は12月9日発売です』と連絡を頂きました。そうして1月号を手に取らせて頂きました。夢のように思えます。

1998年『ギャラリー童画村』の作家、主人・西口 保が56歳で尊い御神光にお守り賜りまして、転生へとお導き賜わりました。主人が入院後、余命2ヶ月と診断されました。『会社』と『ギャラリー童画村』のこと、後のことは何も聞いていません。

その後、残されました作品の数々を世に送り出すことに専念させて頂いてまいりました。

作品は大小合わせて、500点余りと知り合いの人が教えて下さいました。

いろいろ調べていくうちに、作家がこれから世に送り出していく心構えが準備されていました。主人は、平成3年 吹田市千里山西4丁目に『ギャラリー童画村』を開設、運営は私が任されました。無知な主婦でしたが『シルバー人材』の店員さんと共に、忙しく努力させて頂いていました。そしてすぐに退院すると思っていました。

主人は入院中、私に『正子、退院したら小さな家で暮らそうな』と一言、言ってくれていました。その頃、入院前、大切な経営権を社員に譲り渡して、残した経営権を持って、他のビルに移る手続きが、すべて完了されていました。きっと主人は、余生は経営を縮小し、作品を描き続け、世に広く発信させて頂くことを考えていたと思われます。

主人は素晴らしい御神光にお守り賜りまして悪い毒素をすべて排泄させて頂きました。そしてこのことにつきまして当時

統主様より『悪い物を全部出して頂いているのですね』とお言葉を賜りました。そして 2ヶ月後、尊い御神光にお守り賜りまして、主人は、家族、親族、社員、知人に見守られ、眠るが如く、静かに転生させて頂きました。

その後、私は会社と『ギャラリー童画村』、2つの経営をすることになり、必死でした。

尊い御神光にお守り賜りまして、時には御無礼なことも数々ありましたこと、心より深くお詫び申し上げさせて頂きますと共に、今日まで健康に、お守り賜わりまして、無事に、日々を過ごさせて頂いていますことを、深く感謝申し上げます。

主人・西口 保は昭和53年、お守り賜りましてデザイン会社(株)アド・エイブルを設立させて頂きました。そして大手四大紙の中の一社に発行されている『奥様カレンダー』の制作と挿絵の仕事を受けました。当初は短期間ということでしたが10年余り続きましたが、転生させて頂きました後、2000年まで挿絵は続きました。

そして、企業団体からのカレンダー他ポスター等、使用依頼が続いています。

主人の後、私はインターネットで、世に広く発信をと考えていました。今思いますと主人・西口 保の作品は尊い御神光にお守り賜りまして、能力を最高度に発揮させて頂きまして、本人のたゆまぬ努力もありまして、良い作品へと完成されていったと思われます。

現在は次男・西口浩司が経営していますデザイン会社『STRAEGHT』に仕事と社員を移し、私は『ギャラリー童画村』の代表・西口正子として、家族で主人・西口 保の遺志を受け継いで、世に発信、発展を続けさせて頂いています。

平成29年5月17日、『ギャラリー童画村と西口 保ほのぼの美術館の発信と発展』で発願のお許しを賜りました。そしてこの度の『PHP』誌の表紙決定へとお導き賜わりまして、誠にありがとうございました。

この決定を記念して、『ティールーム あ 』の店主に申し入れさせて頂き、平成30年1月4日~20日まで記念の『原画展』を開催させて頂く運びとなりました。誠にありがとうございます。

この日は予定が決まっていたのですが、西口 保の作品のことを、いつも大切に扱って下さっています。このお願いにすぐに『分かりました。この期間の作家の人には予定日を変えて頂きますから、安心して下さい』と快く承諾、協力して下さいました。

先日、女性編集者から新発売の2018年1月号が2冊送られて来ました。

そして感謝の手紙が添えられていました。それには

『西口 保先生の表紙になって初めての号が出来ました。なんだか言葉にならない感慨が込みあげ、何度も眺めています。』と記されていました。

1月号の97ページに在りし日の作家・西口 保のプロフィールと幼い頃の息子との会話が紹介されていました。心からありがたく思いました。万感せまる思いで読ませて頂きました。

そしてある日嫁の知子が『SNSで2009年に、すずらんの日記という名前の女性が箕面の童画村の店に、御来店頂きました時の西口 保の作品との出会いを心こめてブログで発信して下さっていますよ』と教えてくれました。10年も前のことです。とてもうれしく思いました。

以上のように、尊い御神光にお守り、お導き賜わりまして、全てに都合よく運ばせて頂いておりますこと、家族一同、心より深く感謝申し上げます。誠にありがとうございました。