靈源會に御縁を賜わり、良い方へとお導き賜わる

西東京市在住

教祖様、日々、御守護賜りまして、誠にありがとうございます。

昭和42年2月御縁を賜り、2月19日でちょうど50年を迎えさせて頂きました。

本日は、靈源會に入信させて頂き、賜りました御守護、お導きを中心に御礼申し上げます。

私が初めて霊南坂の教会を訪ねたのは、昭和42年2月17日、長年の精神的苦痛を抱えていました私は、残された唯一の希望との思いで、教会の門をくぐらせて頂きました。その瞬間、電撃のような大きな力が全身に加わり、身体が熱くなるのを感じました。そして翌日、それまでの陰鬱な心は喜びの心へと一変していました。まさに御式の際の『御礼の詞』の一節『暗黒の世界より光明輝きわたる歓喜の世界へと甦らせて頂き』同時に頭部隆起の奇跡を頂きました。私は神の実在とその偉大さを知り、翌19日入信のお許しを賜りました。

しかし、先祖の深い因縁と苦しみを負った私は、その後も、数々の試練を耐え潜り抜けねばなりませんでした。それは精神面のみならず身体的、経済的、さらには人生のすべてに関わる先祖の苦しみそのものであったと思われます。その都度、霊への思いを深め、毎年の『霊祭』に臨んで、一年一年その苦しみをお救い頂いてまいりました。

そして昨年は、私の精神面に影響していた霊として、直系の祖父の死因に初めて気づかせて頂きました。今まで戸籍から知りうることとして、19歳で失踪、36歳で復籍、42歳で死亡との事実のみでした。その死因について、私の母からは『病弱だったと聞いている』とのことだけで、近親者は誰一人として死因について口にする者はいませんでした。

しかし、昨年になってその謎が分かってきました。憶測ではありますが、死因は自殺ではないかと思うようになりました。思えば私の入信のきっかけも精神的苦しみでした。更に遡れば、少年時代から一人閉鎖的な生活のなかで、毎日、死を思って過ごしたこともありました。それが生前の祖父の思いであり、苦悩ではなかったかと思えてきました。そうしたことを思い巡らしながら、昨年13年ぶりに祖父の供養をさせて頂きました。それが祖父の霊に通じたのでしょうか、最近、私の心に変化があったのか、物事へのこだわりが溶けて、すべて流れに任せる気持ちになったように感じます。

また、平成21年の『霊祭』には、母方の先祖の直系の名前を御指導頂き、修正致しました。と同時に、6年ぶりに母方の祖父の供養を再開させて頂きました。それ以来、とかく生じがちだった経済的トラブルからも解放されました。母方の祖父は事業に失敗し、そのため、一家は経済的に困窮したと聞いており、そうした霊の現れではなかったかと思われます。祖父が亡くなった半年後、私が生を受けました。一族の因縁浄化のため、信仰に打ち込んだ一生から、祖父のそうした思いがこうして真の神

教祖様の御縁としてつながったと思われます。

こうした霊供養による先祖の因縁の浄化の結果でしょうか?最近になり、仕事面でも新たな展望が開けてまいりました。かつて昭和44年、取引先から全面的に支援するとのことで、居抜きの店という好条件で資金ゼロの私に、身にあまる立派な電気店をお授け頂きました。以後20年余り営業を続けておりましたが、私の努力の不足から、やがて閉店することになり、以後は店舗をもたずに細々と固定客との取引を続けてまいりました。しかし最近になり、新たな構想での再建が具体化してきました。皆も賛同し、私が動き出すのを待っている状態です。

教祖様の御教えにある『経済中心から人間中心の社会』を理念とし、地域の人々の絆を、仕事を通して取り戻すことに少しでも貢献出来たらと思っています。年齢からも私の人生最後の機会と思えます。

一年前、お清め活動にお誘い頂き、以来、毎回参加させて頂くようにしてまいりましたが、それは皆様と信仰を深める機会でもありますが、仕事の面でもこのように同時進行で変化が生じてきたように感じます。お清め活動によりお蔭を賜わった結果とも感じております。

未だ至らぬ私ですが、今後とも感謝と希望を持って自己完成に一歩でも近づけるように努めてまいります。